世界の音楽クリエイター列伝
- Trevor Horn㊥ -
2026年5月25日
プロデューサーやミュージシャンを問わず、音楽の世界で光を放った才能に迫るブログ企画です。
この企画では、取り上げられた人物のバイオグラフィーを辿りながら、関わった作品を可能な限りご紹介。掲載されたジャケ写等をClick!していただくことで、リンクされた「アイテム投稿」のページでその作品のさらに詳細な情報を確認しながら、ネット動画の力を借りて実際に視聴も出来ます!
第3弾として、Trevor Hornにフォーカスしています!
ここでは、Trevor HornがZTTレーベルを創設し、その中で1980年代に行ったプロデュース作を中心に触れていきたいと思います。
レーベルの設立は1983年。
妻のJill Sinclair、ジャーナリストのPaul Morleyとの共同設立でした。
前回でも触れたように、Hornの妻:Jillは彼に対し「貴方はミュージシャンとしては二流だが、プロデューサーとしてであれば、必ず世界一になれる」と言い放ったとの逸話がありますが、ZTTは、まさに「Hornがプロデュース業に専念し、その力を存分に発揮させるための装置」だったといえるでしょう。
レーベルでの活動を始めるにあたり、Hornは、ローランドのTR808、ミニムーグ、シモンズのシンドラに加え、シンセサイザー/サンプラー:フェアライトCMIといった最新の機材を揃えた、と言われます。
レーベルが最初に契約したのは、Frankie Goes To Hollywood(以下、FGTH)。
“Relax”や“Two Tribes”といったシングル戦略の悉くが成功し、世界的なヒットとなりました。そんな中で、デビュー作「Welcome To The Pleasuredome」がリリースされます。
FGTHは、言うまでもなく「センセーショナル」でした。恐らく「センセーショナルであることによって売れた」と言っても過言ではないでしょう。
メンバーのうちふたりは自らがゲイであることを公言。これは、ポップ・グループとしては初めてのことだったとか。
そして、彼らは「性愛」を躊躇することなく表現しました。バンドのコンセプトやイメージの打ち出し方については、レーベルの構成員:Paul Morleyが決定していたものと思われますが、この「セクシュアリティにおける危険な匂い」については、Horn自身も「グループの武器」として捉えていたらしく、実際“Relax”はBBCによって「放送禁止」となったことで、逆に「火」がつきました。
筆者は、1985年の初来日公演を観に行きましたが、当時の高校生にとって、それはそれは目を覆いたくなるような演出でした(実際には、しっかりと目に焼き付けましたが)。
その一方で、“Two Tribes”では、当時隆盛していたPVというメディアもフル活用して、「東西冷戦」を揶揄したり。
「ギミック」や「お騒がせ精神」を燃料に、「きっちり言うべきことは言わせていただきます」というスタンスで既成概念をひっくり返していく様は、「これこそ、英国において生き続けるパンク・スピリット」としたくなるような、世界的影響を及ぼしていました。
Hornは、FGTHの2作目「Liverpool」にもクレジットはありますが、プロデュースは他に譲っており、音作りの面でどういった関りを持っていたのかは不明です。
Hornは並行して、Art Of Noiseを共同結成。Ann Dudley、Gary Langan、J.J. Jeczalikとの4名で活動をスタートしました。
そしてこちらも“Close”“Beat Box”“Moments In Love”を立て続けにヒットさせます。
FGTHと比較してみるならば、このArt Of Noiseは、サウンド面での実験場として、Hornにとって極めて重要なプロジェクトだったように感じられます。
メンバーによるパフォーマンスは仮面を被った状態で行われるといったギミックも随所随所に盛り込まれているものの、上記の通り、当時の最新鋭の機材たちが駆使された音世界こそが、Art Of Noiseを「センセーショナル」たらしめていました。
この時期、「サンプリング」という手法自体は、徐々に一般化されてはありましたが、実際の用途としては、アレンジの一環として「部分」「お飾り」を構成することがほとんどでした。
そこへ来てこのArt Of Noiseは、サンプリング・サウンド自体を主役に置き、「オーケストラ・ヒッツ」といった「聴いたことの無い音」で、世界中のニュー・ウェーヴ少年たちの耳を捉えて離さなかったように思います。
“Beat Box”のようなエッジの効いたビートのみならず、“Moments In Love”のような美しいバラード含め、そこには1980年代サウンドの旨味がたっぷりと詰め込まれていました。
なお、このプロジェクトは、HornとMorleyが離脱した後も存続し、いくつかのヒットを継続させていましたが、セールス面での成功に反して、サウンドの革新性は、結成当初とは全く異なるものとなっていました。
1985年には、PropagandaがZTTからデビューします。
グループはドイツのデュッセルドルフで結成され、男女2名ずつの4名で構成。“P-Machinery”や“Dr. Mabuse”といった重厚なテクノ・サウンドでかなりヒットしましたが、このアルバムにおいて、Hornの名は一部楽曲で確認できるに留まります。
同じ1985年には、Grace Jonesの「Slave To The Rhythm」をプロデュース。
アルバムのコンセプトは、当初FGTHのために用意された楽曲だったとか。
また、このアルバムには、盟友のBruce Woolleyや、ゴーゴーの名手:Ju Ju、Pink FloydのDavid Gilmoreが参加、Grace Jonesという稀有な存在を素材に、通底するゴー・ゴーのリズム上で様々な音遊びが繰り拡げられた組曲のような仕上がりとなりました。
加えて、ここまでの期間には、Ann Pigalleもレーベルからデビューしていますが、そこにHornの影は認められませんでした。
レーベルの運営には、それなりに浮き沈みも伴ったようです。
この頃には、FGTHのHolly Johnsonらとレコーディング契約を巡った法廷闘争が勃発、この経緯の中で、Art Of NoiseやPropagandaといったプロジェクトやグループも、一旦消滅することに。
ただ、それでも、レーベルとしての動き自体が止まることはありませんでした。
1980年代後半、ZTTレーベルは、当時の最新ダンス・ミュージックに本格的に照準を合わせることとなり、808 STATEの作品をリリースすることに。
その一方で、Shane MacgowanとKirsty Maccoll、そうPoguesのフロント・マンふたりのソロ活動を支えていたという興味深い記録もあります。
ただ、この辺の作品群に、Hornの名はクレジットされていません。
こうして振り返ってみると、Trevor Hornが主導したZTTの動きは、ほんの2~3年だったことがわかります。
それは「センセーショナル」であったが故でもあるのでしょうが、この時代特有の「徒花」感が多く含まれていることも否めません。
ただ、この短期間で彼らが見せたインパクトは、「サンプリング・サウンド」「メディア活用」「リミックス戦略」といった様々な手練手管によるものであり、その悉くが「1980年代を発明した」と評価されるにふさわしいものだった、ということは間違いないのではないでしょうか。
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ここまで、Trevor Hornが自ら設立したZTTレーベルで手掛けた仕事にフォーカスしてみましたが、いかがでしたでしょうか?
次回は、引き続きTrevor Hornの魅力にフォーカスし、19990年代以降における活動を追ってみますので、お楽しみに!
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UniverGoods









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