世界の音楽クリエイター列伝
- Trevor Horn㊤ -
2026年5月25日
奇才、異才、多才…古今東西、プロデューサーやミュージシャンを問わず、音楽の世界で光を放った才能に迫るブログ企画。
この企画では、取り上げられた人物のバイオグラフィーを辿りながら、関わった作品を可能な限りご紹介。掲載されたジャケ写等をClick!していただくことで、リンクされた「アイテム投稿」のページでその作品のさらに詳細な情報を確認しながら、ネット動画の力を借りて実際に視聴も出来ます!
それでは、このブログ企画の第3弾として、Trevor Hornにフォーカスしてみたいと思います!
Trevor Hornは、1949年に、イギリスの北東部にあるダラムで生まれました。
ロンドンからは電車で3時間ほどかかる街ですが、大学都市として有名で、映画「ハリー・ポッター」のロケ地にもなったようです。
「1980年代を発明した男」の異名を持つ彼の幼い頃は、父親の影響でクラシック音楽に親しみ、コントラバスを弾いていたようですが、成長するに従い、Beatles、Rolling Stones、Bob Dylan等に傾倒、その中でベースを弾くことになったようです。
初めて結成したバンドは、Kinksのカバーを演奏していたとか。
その後に結成したフュージョン・バンドでは、後にShakatakのメンバーとなったRoger Odellや、後にYesを結成することになるGeoffley Downes、そして、本ブログ企画でThomas Dolbyを扱った回にも登場したBruce Wooleyも参加していたという記録があります。
1970年代のHornは、スタジオ・ミュージシャンとなり、様々なアーティストの作詞作曲、プロデュースを手掛けるように。
そして、1979年には、Bugglesとして「The Age Of Plastic」でデビューします。
メンバーは、Hornに加え、Geoffley DownesやBruce Wooley(本作の制作途中で離脱)といったアマチュア時代からの盟友で構成されていましたが、本作に収められた“Video Killed The Radio Star(ラジオスターの悲劇)”を、いきなり大ヒット(全英1位)に導きました。
この曲のPVは「MTVで初めて放送されたミュージック・ヴィデオ」となったことでも有名ですね。
1980年には、プログレ・バンド:Yesにリード・ヴォーカルとして加入、10作目となる「Drama」を制作します。この加入は、Geoffley Downesと共に行われましたが、これは、バンドから脱退していたJon AndersonとRick Wakemanの後釜としての加入だったようです。
ふたりの参画は往年のバンド・ファンから批判されたようですが、作風にはニュー・ウェーヴ的な風が確実に吹いており、バンドに新たな魅力を加えているといった評価も多いようです。
しかし、この「Drama」制作後に出たツアーで、Hornのパフォーマンスに関する評判が悪かったこともあり、バンド自体が空中分解するという憂き目に。
このことは、Hornを落胆させたであろう一方で、後に妻となるJill Sinclairからは「貴方はミュージシャンとしては二流だが、プロデューサーとしてであれば、必ず世界一になれる」といった主旨の言葉がHorn自身に投げかけられたとか。
この言葉に関するHornの受け止めについて真相は不明ですが、彼女の言葉は見事的中。まさにここから「1980年代を発明した男」の快進撃が始まりました。
1981年に専業プロデューサーとなったHornは、まずBugglesのセカンド作「Adventures In Modern Recording」を、ほぼひとりで完成させます。
当時メンバーのDownesがAsia結成のため離脱することになったことが背景にあったようですね。
ただ、本作の制作過程での最終局面において、Hornは「前作のようなヒット曲を作れないと感じ、本作の制作に興味を持てなくなっていた」と語っています。
にもかかわらず、後年の大躍進へと繋がる新しい試みが色々と詰め込まれた作品とも言えそうです。
そういった意味では、Hornが「パフォーマー」から「プロデューサー」へと歩みを移す際の過渡期を映し出した作品と言えるのかもしれません。
そしてその翌年1982年には、イギリスのポップ・デュオ:Dollarを手掛けます。
本作は、ふたりにとっての3作目であり最終作となりましたが、ここでのHornは収録曲の半分ほどをプロデュースしています。Buggles張りのシンセ・ポップを提供しており、どれも高品質です。
同じ年には、ABCのデビュー作「The Lexicon Of Love(ルック・オブ・ラブ)」をプロデュース。
このアルバムについては、全英1位を獲得といったセールス面での大きな成功もさることながら、制作チームのメンバー構成という意味でも、重要な意味を持つことになります。
Trevor Hornに加えた、Anne Dudley、Gary Langan、J.J. Jeczalilは、本作完成後にそのままArt Of Noiseを構成することになるのです。
そして、1983年には、Yesの「90125」をプロデュース。
本作制作の過程では多くのサンプリング手法が用いられたようですが、ボツとなったドラム・テイク等に手を加えたものが流用される形で、生まれたのが“Owner Of A Lonely Heart”だったという逸話も残っています。
この曲についてメンバーからは「ポップ過ぎる」と揶揄されたようですが、結局バンド唯一の全米ナンバーワンとなりました。
また、上記「ボツ・テイク」等は、後述するArt Of Noiseのプロト・タイプとして引き継がれたといった話もあったり。
でも、この“Owner Of A Lonely Heart”は、やっぱり12インチ・ヴァージョンでも聴いておくべき!という気もします。
Trevor Hornは、この頃からリミキサーとしても腕を鳴らしていました。
音楽を構造的に捉え、自らのイメージで原曲とは異なった命を吹き込む工程は、Hornの面目躍如というべき、表現形式だったといえるでしょう。
このリミックス仕事には、この時点での彼の遊びの引き出しの多くが仕込まれています。
同じ年、Malcolm Mclarenの「Duck Rock」をプロデュース。
ご存知Sex Pistolsを世に送り出した男のアーティスト・デビュー作になるワケですが、ヒップホップをNYから持ち込んだのはMalcolm本人、ワールドミュージックの要素を取り込むアイデアはHornによるもの、ということのようです。
この作品にも、ABCのデビュー作を支えた制作チーム:Ann DudleyとGary Langanが登場します。その証拠に?ここでもHornらが発明した「オーケストラ・ヒッツ」が、ガンガン聞こえてきますね。
そして1984年には、Hornのキャリアにとって大きな仕事に取り組むことになります。
エチオピアの飢饉救済募金活動の一環で立ち上げられたプロジェクト:Band Aidの“Do They Know It’s Christmas?”です。
Boomtown RatsのBob GeldofとUltravoxのMidge Ureが、イギリスのみならずアメリカのアーティストたちにも声かけし、作詞作曲を手掛けたプロジェクトですが、Hornはプロデューサーとして参加したのみならず、自分のスタジオを無料で提供したといわれます。
Frankie Goes To HollywoodのHolly Johnsonも、「メッセージのみ」というには余りに印象的な「声」を残していましたね。
この後、Trevor HornはいよいよZTTレーベルを創設し、世界的なヒットをセンセーショナルに巻き起こしていきます。
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ここまで、Trevor Hornの生い立ちとプロデューサーに専念する前のミュージシャンとしての活動にフォーカスしてみましたが、いかがでしたでしょうか?
次回は、引き続きTrevor Hornの魅力にフォーカスし、彼がZTTレーベルを創設する中での活動を追ってみますので、お楽しみに!
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