世界の音楽クリエイター列伝
 - Thomas Dolby㊥ - 

 

 

プロデューサーやミュージシャンを問わず、音楽の世界で光を放った才能に迫るブログ企画です。

 

 

この企画では、取り上げられた人物のバイオグラフィーを辿りながら、関わった作品を可能な限りご紹介。掲載されたジャケ写等をClick!していただくことで、リンクされた「アイテム投稿」のページでその作品のさらに詳細な情報を確認しながら、ネット動画の力を借りて実際に視聴も出来ます!

 

 

記念すべき第1弾として、Thomas Dolbyにフォーカスしています!

 

 

Thomasがソロ活動を始めたのは、1981年。

 

この頃の活動には、Foreignerのアルバムへの参加、そして彼らのツアーへの帯同が含まれています。その後の彼の立ち位置を思えば、こういった動きは相当意外なものに見えますが、彼はこの時期に、その後のソロ活動の準備/基盤作りをしていたと思われます。

翌1982年に彼は「The Golden Age Of Wireless(邦題:光と物体)」でソロデビューしますが、その制作には、これらの仕事で得たギャラが元手となったというのです。

 

click! Thomas Dolby「The Golden Age Of Wireless」。ソロ・デビューとなる本作だが、実は1stプレスには“彼女はサイエンス”が収められていない!

 

そんなデビュー・アルバムですが、最初から火が点いたワケではなかったようで、そのアゲンストな状況をひっくり返したのが、既に1982年に発表されていたシングル“She Blinded With Science(彼女はサイエンス)”でした。

世界は、彼をこの曲で知ることになります。東京の郊外で、少ないおこづかいを頼りに、モソモソとニュー・ウェーヴを聴いていた少年(筆者)に、Thomas Dolbyの名が届いたのも、この曲がきっかけでした。

このヒット曲は、当初なぜかこのデビュー・アルバムには収録されませんでしたが、その後に改めて収めた上でリリースし直され、最終的にアメリカのビルボード・チャートで13位にまで到達しました。

バック勢には、ソロ・デビュー前からの盟友:Bruce Woolleyに加え、Andy Partridge、Daniel Miller、そして日本からは矢野顕子といったアーティストたちが揃いました。

 

 

そして、この1982年という年に、Thomasはもうひとつ面白い仕事を残しています。

それは、Whodiniの“Magic’s Wand”

 

click! Whodini“Magic’s Wand”。このヒップホップのエレクトロ・クラシックを、Thomasがプロデュースしていた!

 

Thomasは、オールド・スクール・ヒップホップ・クラシックのひとつに数えられるこの曲を、プロデュースしているのです。

改めてこの曲を聴くと、シンセが多用された作りにはなっており、その点では納得感もあるのですが、どういう経緯で、彼がヒップホップの世界に繋がることになったのか、興味が尽きません。

 

 

1983年になると、Thomasの活動範囲は更に拡がります。

 

既に「ニュー・ウェーヴ界の住人」に留まらない営みを見せていた彼ですが、この年は本格的にアメリカを舞台とした仕事の一環として、Dolby’s Cubeを発動させます。

このプロジェクトは、「Dance」をテーマにしながら、メンバー構成は流動的であることが特色で、最初のシングル“Get Out Of My Mix”では、先ほど登場したLene LovitchとPファンクの総帥:George Clintonが参加。

そして、1985年には、2枚目となるシングル“May The Cube Be With You(邦題:キューブは貴方と共に)”をリリースし、ここには、上記のふたりに加え、ホーン隊としてBrecker Brothersが、共同プロデューサーとしてFrancois Kevorkienが参加しているのも非常に興味深いところです。

 

click! Dolby’s Cube“Get Out Of My Mix”。George ClintonとLene Lovitchが加わったプロジェクトだが、仕上がりはダビーなインスト・ファンクに。

 

 

click! Dolby’s Cube“May The Cube Be With You”。Thomasとの共同プロデューサーに、François Kevorkianの名が!

 

 

そして、もうひとつ極めて興味深い彼の仕事が、Malcolm McLaren「Duck Rock(邦題:俺がマルコムだ!)」への参加でしょう。

 

click! Malcolm McLaren「Duck Rock」。Trevor Hornがプロデュース手掛けるこの問題作に、Thomasはキーボードで参加しているのだが、果たしてその経緯とは?

 

Thomasはここでキーボードを担当していますが、プロデュースはTrevor Hornが手掛けており、そういった意味では、ニュー・ウェーヴの流れはあるものの、当時隆盛していたヒップホップやワールド・ミュージックへの参照行為もたっぷりと盛り込まれている本作に、Thomasがどういう経緯で参画することになったのか…

 

どこにも書かれていないので、これは邪推の域を出ませんが、Bruce Wolleyが“ラジオスターの悲劇”の作者だったという前回触れた事実からは、BugglesのメンバーだったTrevor Hornへ引き合わせたのは、Bruceだったということも導き出せそうな気も。

 

とにもかくにも、個人的には「もしかして、アノ“World Famous”の気持ち良過ぎるシンセって、Thomasが弾いてたの⁉」ってな希望的観測に基づく勝手な興奮が、今もなお冷めなかったりするわけです。

 

 

1984年になると、Thomasはセカンド・アルバム「The Flat Earth(邦題:地平球)」をリリース。

 

click! Thomas Dolby「The Flat Earth」。セカンド作となった本作は、“Hyperactive!”“Dissidents”“I Scare Myself”を収録した充実作に。

 

この作品には、Robyn Hitchcock、そして先述したKevin Armstrongといった面々が参加し、内向的な作りながらも、バラエティとユニークさに溢れる音楽性を支えています。

本作からは“Hyperactive!”がシングル・ヒット。UKチャートでは17位まで上りました。

 

click! Thomas Dolby“Hyperactive!”。本人の代表曲となったこの曲、当初は「あの方」へ提供する予定だったとか!

 

この曲には、興味深い逸話があります。

Thomasがスタジオでビデオを作成していた隣の部屋で、あのMichael Jacksonが作業をしていたらしいのですが、その際にふたりは意気投合し、MJからThomasに対し「曲を書いて欲しい」という話になったと。

Thomasは、英国へと向かう帰りの飛行機で、この“Hyperactive!”を書きMJに送ったらしいのですが、MJによる「制作中のアルバムの雰囲気とは違う」との判断でボツになり、Thomasは「自分のアルバムに入れることにした」とか。

 

 

加えて“Dissidents”もシングル・カットされ、リミキサーにはFrancois Kevorkienがあたり、凄まじいクオリティの仕事を見せています。

 

click! Thomas Dolby“Dissidents”。このシングルに収められたFrancois Kevorkienによるリミックスは、ほぼ原形を止めぬ換骨奪胎な仕事で、凄まじいの一言。

 

 

 

<画像を押下すると、それぞれの商品に関する投稿ページが閲覧出来ます>

 

 

 

ここまで、Thomas Dolbyのソロ・デビュー後の活動にフォーカスしてみましたが、いかがでしたでしょうか?

 

 

次回は、引き続きThomas Dolbyの魅力にフォーカスし、彼による音楽以外の領域での活動等を追ってみますので、お楽しみに!

 

 

 

関連するブログへは、以下からアクセス出来ます。

世界の音楽クリエイター列伝 - Thomas Dolby㊤ - 

世界の音楽クリエイター列伝 - Thomas Dolby㊦ - 


 

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