世界の音楽クリエイター列伝
 - Thomas Dolby㊤ - 

 

 

奇才、異才、多才…古今東西、プロデューサーやミュージシャンを問わず、音楽の世界で光を放った才能に迫るブログ企画。

 

この企画では、取り上げられた人物のバイオグラフィーを辿りながら、関わった作品を可能な限りご紹介。掲載されたジャケ写等をClick!していただくことで、リンクされた「アイテム投稿」のページでその作品のさらに詳細な情報を確認しながら、ネット動画の力を借りて実際に視聴も出来ます!

 

 

それでは、記念すべき第1弾として、Thomas Dolbyにフォーカスしてみたいと思います!

 

 

Thomas Dolbyこと、Thomas Morgan Robertsonは、1958年にロンドンで生まれました。

 

「Dolby」なる芸名は、子供の頃に、Thomas君がカセットテープやカセットデッキでいつも遊んでいたのを、友達が見て付けたニックネームをそのまま持って来たようです。

でも、後に名が売れた際には「本家のDolby社から訴えられるも、裁判には勝った」なんてエピソードもあり。

 

そして、父親は著名な考古学者、お兄さんも学者だとか。

 

「マッド・サイエンティスト」キャラが板についてしまっている彼ですので、これらの情報は、あまりにも「まんま」な印象ですが、学生の頃、特に中学生だった頃のThomas君には意外な事実が。

 

同級生にShane MacGowanがいたというのです。

Shaneとは…そう! 後にPoguesのヴォーカルを務めることとなるShaneです。

 

 

しかも、Thomasはその頃のShaneをして「とても優秀な生徒だった」とコメントしているとか。

一貫して秀才然りとしてきたThomas Dolbyが、あの“酔いどれ”Shaneを「優秀」と言っている⁉

「人は見かけに依らない」ということなのでしょうが、筆者はこの話を聞いて、既に故人となってしまっているShaneに当時のThomasのことを訊いてみたくなりました。

そして、PoguesとThomas Dolbyとで何か一緒に出来ていたら良かったのに!と、本気で思ったり。

 

 

Thomas Dolbyの音楽との出会いは、10歳頃に入った聖歌隊だったとか。

しかもその頃には既に「一度曲を聴けば譜面を見ながら楽器が弾けるようになっていた」とされています。

以降の音楽的志向は、フォークやジャズへと移っていったようですが、その後のシンセサイザーとの出会いにより、彼はその「沼」へとハマっていったようです。

こういった音楽的志向の変遷って、彼のその後の作品にしっかり反映されている気もしませんか?

 

 

ミュージシャンとしてのキャリアは、Bruce Woolley & The Camera Clubの結成から始まりました。

唯一のアルバムを1979年にリリースし、この時代らしい、少しパンクの匂いがする、ひねくれポップなロックバンドといった出で立ちを見せたこのグループは、Bugglesの大ヒット曲“Video Killed The Radio Star(ラジオスターの悲劇)”をカヴァーしたりしています。

というのも、このBruce Woolley、Bugglesの元メンバーであり、上記“ラジオスターの悲劇”の作者らしいのです!という意味では、これは正しくは「セルフ・カヴァー」ということになりますね。

 

click! Bruce Woolley & The Camera Club「English Garden」。Bugglesの“Video Killed The Radio Star”をカヴァーしてます!日本盤が出てたんですね…。

 

 

Thomasはこのバンドでキーボードを担当していましたが、早々にここを脱退、程なくしてLene Lovich(リーナ・ラヴィッチ)のバンドに加わり、そこでヒットした“New Toy”という曲を作曲したという情報があります。

 

click! Lene Lovitch“New Toy”。“新しいおもちゃ”とは、Thomasが入手したシンセ「フェアライト」のことを指しているとか。

 

 

1981年には、Thomas Dolbyが、他アーティストのサポートをしている姿も確認されています。それは、Joan Armatrading作品への参加。

 

click! Joan Armatrading「Walk Under Ladder」。ニューウェーヴ、レゲエ界からの援護射撃が功を奏しまくった異色作。

 

 

Joanは、いわゆるUKソウルの黎明期となる1970年代初期から活動を続けていたシンガー・ソングライター

本作のプロデュースには若き日のSteve Lillywhiteがあたり、XTCのAndy PartridgeやジャマイカからSly & Robbie、Ricoといったアーティストがバックに集まっていることもあって、かなりロック的、時にレゲエな作品に仕上がっています。

Thomasはこの作品にシンセサイザー担当として参加していましたが、アルバムにはかなりエレクトリックなアプローチが取られた曲もあり、こういった場面からはThomasの存在感が感じ取れたりも。

 

 

そして同じ年、彼はLow Noiseなるプロジェクトを結成し、1枚だけシングルをリリースしました。

リード曲はJoni Mitchellの“Jungle Line”のカヴァー

 

click! Low Noise“Jungle Line”。Thomasが立ち上げたプロジェクトの唯一のシングルは、Joni Mitchellのカヴァーに。

 

彼は、Joniのファンだったこともあり、この自身のキャリアにおける早い段階で彼女の楽曲を取り上げることになったようですが、その思いは数年後に、彼女との「共演」という形で結実します。

また、このバンドのメンバーには、ギタリストとしてKevin Armstrongの名が確認できるのですが、彼は後に、David Bowie、Iggy Pop、そしてMorrisseyといったビッグネームの作品に参加することになる人物です。

 

 

Thomas Dolbyがソロ活動を始める前となるこの時期の話は、彼に余程フォーカスした場面でないと触れることは少ないかもしれませんが、この期間に出会ったBruce WoolleyLene LovichKevin Armstrongは、Thomas Dolby界隈のキーマンとして、その後も名前が出てきますので、是非覚えておいてください。

 

 

この後、Thomas Dolbyはいよいよソロ・アーティストとしての活動に入っていきます。

 

 

 

<画像を押下すると、それぞれの商品に関する投稿ページが閲覧出来ます>

 

 

 

ここまで、Thomas Dolbyの生い立ちソロ・デビュー前の活動にフォーカスしてみましたが、いかがでしたでしょうか?

 

 

次回は、引き続きThomas Dolbyの魅力にフォーカスし、彼がソロ・デビューして以降の活動を追ってみますので、お楽しみに!

 

 

 

関連するブログへは、以下からアクセス出来ます。

世界の音楽クリエイター列伝 - Thomas Dolby㊥ - 

世界の音楽クリエイター列伝 - Thomas Dolby㊦ - 


						

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