Above The Rest!
- CONVERSE Chuck Taylor㊤ -
2025年8月9日
スニーカーの銘品・傑作にフォーカスし、歴史や文化的背景も織り交ぜながら、その魅力に迫るブログ企画。
この企画の目玉のひとつは、取り上げたスニーカーを画像で確認出来ること。これを実現するにあたっては下北沢のヴィンテージ・スニーカー・ショップ:somaさんにご協力をいただいています。世界に誇るsomaアーカイブを通じて、偉大なるスニーカーたちのストーリーをよりリアルに体感して下さい!
ということで、第5弾となる今回は、CONVERSEのChuck Taylorを取り上げたいと思います!
Marquis Mills Converse氏が、米国はマサチューセッツでCONVERSE社を設立したのは1908年。
当初、CONVERSEは、降雪量の多い地域でも使えるラバー・シューズを製造していました。その中で、1891年に米国で誕生した新しいスポーツ:バスケットボールにビジネスチャンスを見出していた彼が、1917年に開発・販売開始したのがCANVAS ALL STARです。
この時すでに「ソールがラバーで、アッパーはキャンバス地、アンクルパッドやヒールパッチを備える」という仕様が固まっており、このCANVAS ALL STARも、スニーカーの銘品の御多聞に漏れず「生まれた時点で完成品」でした。
1917年といえば、世界が第一次大戦の真っ只中にある時期。
そんな中にあってなお、アメリカでは世界で最初のジャズのレコードが制作され、フランスではコクトーの脚本、サティの音楽、ピカソの美術で、バレエ「Parade」が公演されたといった文化的エポックは生まれていたようです。
日本は大正6年。欧米からの輸入が途絶えたことで「大戦景気」と呼ばれる国内景気が活況を呈し、人々は百貨店での買い物を楽しむ中で西欧風の食事や服装が広がっていった一方、それは格差社会の始まりでもあり、貧困層の間では結核が深刻な問題になっていたような年でした。
こういった対比からは色々なことが読み取れると思うのですが、驚くべきは「アメカジと呼ばれる一大ファッション・ワールドの重要部分を成すようなアイテムが、100以上前にほぼ完成した形で出てきていた」ということだと思います。
Converse氏の慧眼というか、デザイン・開発力の耐久性みたいなものに、図抜けたものを感じずにはいられません。
1930年にはレディースのCANVAS ALL STARが展開を開始する中、NBAのプレイヤー:Chuck Taylorが着用していたことから、1930年代にヒールへ、1946年にはアンクルパッチへ、「Chuck Taylor」のクレジットが入ることとなりました。
バスケットボールシューズとしてのChuck Taylorは、ここから始まっています。
ここでChuck Taylor氏の人物像に触れてみましょう。
1901年生まれの彼は、高校生の頃にはバスケットボールで頭角を現し、NBAプレイヤーに。10年以上のプレイヤー生活の中で、彼は主にシューターとして活躍したようですが、同時に彼は選手として、CONVERSEに対し「ケガをしにくいバスケットボール用のシューズを開発すべき」と直談判していたとか。
その後、彼はプレイヤーを引退するわけですが、第二の人生をCONVERSEの社員として始めることになりました。
というのも、彼は起業家としての才能も持っていたようで、CONVERSE入社後には、このCANVAS ALL STARの販売促進担当として、大学や高校をターゲットに普及活動を進めたのみならず、開発者に向け数多くの助言も行っていたと。まさに「社内企業体」を地で行く立場で、CANVAS ALL STARに向き合っていたワケです。
「Chuck Taylor」はあくまでも「通称」であり、正式なモデル名ではないようなんですが、ただその一方で、シューズ本体には燦然とその名が刻まれてきたワケで、この「通称」には、CANVAS ALL STARに人生を捧げたChuck氏への、Converse社としての最大限のリスペクトが込められていたことは間違いないでしょう。
かくして、Chuck Taylorが自ら売る、Chuck TaylorことCANVAS ALL STARは、快進撃を始めるわけですが、その過程で仕様という面ではいくつかの変更が加えられていきます。これは、現在において「年代判別」をする上でのポイントにもなっているので、仕様の変遷を可能な限り追っていきたいと思います。
CANVAS ALL STARは、1917年の販売開始当初ハイカットのみでの展開でした。OXFORDなるモデル名でローカットを販売開始したのは1957年。
カラーリングとしては、1960年代まで、ホワイト(生成り)とブラックのみで展開されていたようです。
まずは、ハイカット・モデルにのみ装着されるアンクルパッチの表記における変遷から。
前述したように、アンクルパッチに「Chuck Taylor」の文字が入り始めたのは1946年でした。後のALL STARブランドのアイコンとなる星印は、この時点でまだ描かれていません。
その後のアンクルパッチにおける変遷は以下の通りです。
1953年からは「星の中にChuck Taylorの文字」が表記され、1959年からは「星の上部を挟んでChuck Taylorの文字」が、1962年からは「星の中央部を挟んでChuck Taylorの文字」が、1969年からは「星の下にRの文字(レジスターマーク)」が記されるように。
次に、ヒールパッチを。
1950年代~1962年には「対角線上の三ツ星」が記され、その後1960年代が終わるまでは「三ツ星が横並び」に。
最期に、インソールにおける表記方法です。
1960年代以前には「インソール上の茶色地に白い曲線が描かれ、そこに「CONVERSE」等の文字が表記」され、1960年代が終わるまでは「上記表記に「MADE IN USA」の文字が追記」されます。
加えて、1960年代前半から「当て布が付けられその結果サイドステッチ」が現れるというのもポイントですね。
NBAにおけるシェアという意味では、この1960年代に黄金期を迎え、在籍する選手たちの8割以上がこのCANVAS ALL STAR/通称:Chuck Taylorを履いてプレーしていたということです。
何度聴いても、凄いハナシだと思います…。
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ここまで、Chuck Taylorが生まれた背景や1960年代までのモデルにフォーカスみましたが、いかがでしたでしょうか?
次回は、引き続きChuck Taylorにフォーカスし、カラフルな1970年代のモデルを追ってみますので、お楽しみに!
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