Above The Rest!
- adidas COUNTRY㊦ -
2025年9月13日
スニーカーの銘品・傑作にフォーカスし、歴史や文化的背景も織り交ぜながら、その魅力に迫るブログ企画です。
第6弾では、adidasのCOUNTRYを取り上げています!
前回は、COUNTRYが生まれた背景や仕様の変遷を辿ってみましたが、今回は、引き続きCOUNTRYの魅力にフォーカスすると共に、COUNTRYと共通する機能やデザインを有するモデルを、可能な限り追ってみたいと思います。
この企画の目玉のひとつは、取り上げるスニーカーを画像で確認出来ること。これを実現するにあたっては下北沢のヴィンテージ・スニーカー・ショップ:somaさんにご協力をいただきました。世界に誇るsomaアーカイブを通じて、偉大なるスニーカーたちのストーリーを体感して下さい!
さて、このCOUNTRY、ミリタリー・ウェアのクラシックのひとつとなる、西ドイツ軍の「ジャーマン・トレイナー」に似ていると思いませんか?
ジャーマン・トレーナーは、1970年代~1990年代にかけて西ドイツ軍にて採用され、「ベルリンの壁」崩壊に伴う混乱の中、市場へ大量に放出、ミニマルなデザイン性と汎用性の高い作りから徐々に人気を集めました。
その後、これをマルタン・マルジェラが手に取り、1999年に自身のコレクションで「Replica」として発表したことが、このシューズをミリタリー・ウェアのクラシック以上の存在へと押し上げることになりました。
今もなお、ジャーマン・トレーナーは、多くのアパレル・シーンにおいてデザイン・ソースとなっています。
この西ドイツ軍のトレーニング・シューズの製造にあたっては、adidasとPUMAの間で熾烈な争奪合戦が繰り広げられたようです。結果はadidasが製造権を獲得、軍に対しジャーマン・トレイナーとして納入したということです。
ただ、この辺のいきさつには、諸説あることも事実。
ジャーマン・トレーナーを生んだのはPUMAだという記録が、ドイツの博物館に存在するらしいのです。
でも、この件に対し、PUMAが否定する見解を出していたり、生産・供給は両社で行われていたという説もあったり…。
一方で、後ほど紹介するadidasのROM(ローマ)というモデルは、1950年代に登場しているのですが、これが、COUNTRYの特徴ともなっている「細いラスト(木型)に、つま先のT字型補強」というフォルムを有していました。
COUNTRYやジャーマン・トレーナーが生まれる10年以上前のことです。
ということからも、adidasは、そのトレーニング/ランニング・シューズに関する実績や知見を、軍用やトレッキングという当時の新たな領域にも活用したのではないかというのが、筆者の推察です。
そういえば、サッカー・シューズのクラシック:SAMBAも、1960年代からこのフォルムになっていましたね。
ということで、adidasにおけるトレーニング/ランニング・シューズの歴史は古くて太い!ということは、なんとなくご理解いただけましたでしょうか。
その証拠に、ということにもなろうかと思いますが、adidasが世に出してきたトレーニング/ランニング・シューズの数たるや、物凄いことになっているのです。
今回、somaさんのアーカイヴを掘っていく中で、筆者はこのことをまざまざと見せつけられました。
それでは、トレッキング用となるCOUNTRYとは用途が異なるにも関わらず、そのフォルムにおいてとても近いものを持つ、adidasのトレーニング/ランニング・シューズたちにご登場いただきましょう。
まずは、先ほど触れたROM(ローマ)から。
ROMは、1960年のローマ・オリンピックに向けて開発されたモデルで、西ドイツで生産が始まり、その後は並行してフランス、オーストリア、ユーゴと生産国を増やしていったようです。
水色のラインが特徴ですが、上記のようにラインがグリーンのものや、トリコロールになったものも発売されたとの情報があります。
次は、ROMと同時に発売されたITALIAで、こちらはなんと緑色のライン。

click! こちらがITALIA。このフォルムで緑の三本線。ですが、COUNTRYとは違うモデルです。本来、緑はイタリアのイメージカラーなので、「何故COUNTRYは緑?」という問いの方が正しいようですね。
「ホワイト×グリーン」、なのにCOUNTRYではない…ややこしいですねぇ。でも、楽しいですねぇ(笑)。
そして、ラインが赤となったものが、VIENNA(ヴィエナ)。前身モデルはBUDAPESTですね。
ここまでは、adidasにおけるトレーニング・シューズのメインラインであると共に、「都市シリーズ」の一環ともなるようです。
いかがでしょう?
「コレって、COUNTRYの色違いじゃなかったんだ!」という発見もあったのではないでしょうか。
…しかしながら、adidasがトレーニング/ランニング・シューズとして積み上げたレガシーは、これだけに留まらないのです!
以下、今回の企画にあたって確認させていただいたsomaさんのアーカイヴの中で「発見」した、その他の「ジャーマン・トレイナー系」のシューズを列挙してみます。
COUNTRYのグリーンは、この2足の間にある感じでしょうか。
ここまでが、「ボディがホワイトで三本線等のカラーリングが違うもの」。
そして、ここからは「ボディを含めたカラバリ」になります。
ここまで並べられると、圧巻だと思いませんか?
これでもまだ、adidasのトレーニング・シューズの全てではないでしょうが、somaさんのアーカイヴには、毎回毎回恐れ入るばかりです…。
そして、こうした並べ方から何となく感じられるのは、当時の、つまり1960年代~80年代初期あたりのモデルにおいては、そのデザイン・パターンは無尽蔵にあったわけではなく、一定の約束事があったのではないか、ということ。
この時期は「都市シリーズ」も展開されていたので、その国をイメージするカラーリングが意識されたということは大いにありそうですし、そもそもこの時期のシューズは基本的に競技用なので、オリンピックにおけるデザイン・ルール等、規律に縛られていたということの結果なのかもしれません。
これは、全く私の想像の域を出るものではなく、誰かの言説をふまえたわけでもないのですが、1990年以降、現在に至る中では、ある意味では自由に、またある意味ではノー・ルールとも見える、デザイン面での「百花繚乱」状態を見るにつけ、益々そう考えてしまうワケです。
それは「競技用」として生まれたものと、「ファッション・アイテム」としてデザインされたものの間に存在する大きな違い、といえるのではないでしょうか。
そして、これまた全く個人的な嗜好の話にて恐縮なのですが、筆者が「機能美」を有したヴィンテージ・スニーカーに惹かれる理由、ある種のボーダーラインとなっているようにも感じています。
ここで、話をCOUNTRYに戻しましょう。
あくまでも「ここ日本において」ですが、COUNTRYは、ファッションに強いこだわりを持つ層というよりは、スニーカーに興味を持ち始めた方が、気軽にジーンズに合わせて履いてみるといった「スニーカー着用の入口」にあるモデルなのでは?というのが、私見です。
また、このCOUNTRYは、日本の学生がこぞって履いていた時期があって、彼らがそのまま大人になっても履き続けているというイメージが強いモデルでもあると思うのです。
たたその一方で、このCOUNTRYには数多の復刻事例がある他、リアム・ギャラガーやNIGOとのコラボ案件もあるワケです。
そういった流れをふまえると、日本と並ぶ「スニーカー大国」である英国では、このCOUNTRYも、STAN SMITHやSUPERSTARあたりとも並ぶ、アーバン/ストリートとの繋がりを持つファッション・アイコンに位置づけられるのかもしれないですね。
更に言えば、このCOUNTRYを如何にカッコよく履くかということは、世界中のファッショニスタに対する挑戦状なのかもしれません。
<画像を押下すると、それぞれの商品に関する投稿ページが閲覧出来ます>
「スニーカーのマスターピース」にフォーカスするブログ企画の第6弾は、COUNTRYを取り上げてみましたが、いかがでしたでしょうか?
記事の下にあります「コメント欄」に感想をいただけると、担当「中の人」の励みになりますので、是非よろしくお願いします!
また、「このスニーカーを取り上げて欲しい」というリクエストもお待ちしております。筆者の力が及ぶ限りではありますが、お応えしたいと思っています!
ということで、次回もお楽しみに!
UniverGoods































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