Above The Rest!
- Nike AIR FORCE 1㊦ -
2025年7月12日
スニーカーの銘品・傑作にフォーカスし、歴史や文化的背景も織り交ぜながら、その魅力に迫るブログ企画です。
第4弾では、NikeのAIR FORCE 1を取り上げています!
前回では、AIR FORCE 1が生まれた背景やオリジナルとなるモデルを辿ってみましたが、今回は、AIR FORCE 1の1980年代以降の変遷や同じくAIRを搭載した後続モデルを、可能な限り追ってみたいと思います。
この企画の目玉のひとつは、取り上げるスニーカーを画像で確認出来ること。これを実現するにあたっては下北沢のヴィンテージ・スニーカー・ショップ:somaさんにご協力をいただきました。世界に誇るsomaアーカイブを通じて、偉大なるスニーカーたちのストーリーを体感して下さい!
AIR FORCE 1は、Nikeにより1982年に販売開始されたバスケットボール・シューズ。
バスケットボール・シューズとして初めて「Nike Air」を採用したモデルとなり、「Nikeの新機軸」として1980年代の業界の話題をさらいましたが、いわゆる「オリジナル」が発売されていた期間はとても短いものでした。
1985年に、AIR JORDANというモンスター・アイテムが販売開始されたこと、そして、AIR FORCE 2が販売開始されたことを受け、1986年にAIR FORCE 1は生産を一旦終了することとなります。
AIR FORCE 1のオリジナルとしての販売期間は、わずか5年ということになります。
ここからは個人的な所感になりますが、現在へと繋がるAIR FORCE 1の人気というか市民権みたいなものは、この「生産中止」以降に拡大のスイッチが入ったように見えています。
簡単に言えば「マーケティング上手なNike」ということなのでしょうが、それを証左するような逸話が、この局面でも登場します。
AIR FORCE 1の生産終了を受け、ボルチモアにある3つのシューズショップ「Charley Rudo Sports」「Downtown Locker Room」「Cinderella Shoes」が、Nike本社にAir Force 1の生産再開を直訴しました。この申し出を受けたNikeは「1カラーあたり1200足の販売ノルマ」を課した上で、この3店舗限定でAIR FORCE 1の再発を決定しました。
この3店は後に「3アミーゴス」と呼ばれましたが、この「数量限定で、店舗も限定した上で販売する」といったマーケティングが功を奏し、結果としてこのAIR FORCE 1は、スポーツシューズとしてだけでなく、タウンシューズとしての位置づけも獲得することになりました。
一連の動きを受け、1988年からは(上記3店舗への限定を解除する形で)AIR FORCE 1の再発売を大々的に展開することに。
オリジナル展開時の生産国は韓国でしたが、1988年以降の再発売にあたっては、台湾や中国、インドネシアにシフト、デザイン的にも大きく幅を拡げる戦略を取りました。
その後のAIR FORCE 1の快進撃は、皆さんの認識の通りです。
着脱のし易さからローカットが人気となる中、1994年からはミッドカットの販売を開始、1995年には「オールホワイト」でのカラーリングを展開しました。
AIR FORCE 1については、この「オールホワイト」のイメージが強いと思いますが、これは再発以降に展開されたカラーリングです。
また、2000年代以降のコラボ案件の多さは、数あるスニーカー・クラシックスと比較しても随一でしょう。
Kobe BryantやLeBron Jamesといったバスケットボール・プレイヤーは勿論のこと、EminemやRockafella、Terror Squad、Travis Scottといったヒップホップ陣営、TiffanyやLouis Vitton、Comme des Garconsのようなハイ・ブランド、Playstationのようなゲーム業界に至るまで、様々な領域でのコラボ熱に収まる気配はありません。
また、このAIR FORCE 1の「AIRという当時のNIkeの最新技術をバスケットシューズに初めて搭載したバッシュ」としての存在感は、後に続いた「AIR系バッシュ」の系譜を追うことで、その重みを増します。
因みに、AIR JORDANは別稿で詳しく扱う予定ですので、その他の「AIR系バッシュ」を以下に!
このAIR FORCE 1も、ファッシュン・アイテムの銘品の御多聞に漏れず、その「機能美」で自らを問うべく世に出てきたスニーカーなんだと思います。
ただ、前述の通り、その「オリジナル展開期間」はあまりにも短命だったと言わざるを得ません。
しかもその経緯からは、一度は自分に託された「Nike Air」なる技術が移植される形で生まれた、AIR JORDANという化け物モデルによって、結果的に自分がその居場所を失ってしまったように見えなくもありません。
しかしながら、一度は姿を消した後に、その「機能美」が持つポテンシャルとNikeによるマーケティングの妙で再度スターダムへと浮上してきた様は、なかなかにドラマチックかと。
個人的にも、このAIR FORCE 1への愛は、このドラマを思い出す度に深くなっていく次第です。
<画像を押下すると、それぞれの商品に関する投稿ページが閲覧出来ます>
「スニーカーのマスターピース」にフォーカスするブログ企画の第4弾は、AIR FORCE 1を取り上げてみましたが、いかがでしたでしょうか?
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また、「このスニーカーを取り上げて欲しい」というリクエストもお待ちしております。筆者の力が及ぶ限りではありますが、お応えしたいと思っています!
ということで、次回もお楽しみに!
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