Above The Rest!
- adidas SUPERSTAR㊦ -
2025年4月6日
スニーカーの銘品・傑作にフォーカスし、歴史や文化的背景も織り交ぜながら、その魅力に迫るブログ企画です。
記念すべき第一弾では、adidasのSUPERSTARを取り上げています!
前回は、SUPERSTARが生まれた背景やその歴史について辿ってみましたが、今回は、SUPERSTAR誕生以降の変遷を、そのデザインや仕様で可能な限り追ってみたいと思います!
この企画の目玉のひとつは、取り上げるスニーカーを画像で確認出来ること。これを実現するにあたっては下北沢のヴィンテージ・スニーカー・ショップ:somaさんにご協力をいただきました。世界に誇るsomaアーカイブを通じて、偉大なるスニーカーたちのストーリーを体感して下さい!
1969年にSUPERSTARとして発売された初期モデルは、「サイドにプリントされたadidasのロゴ」と「トレフォイル(三つ葉)マークのないヒールパッチ」が特徴で、当時のadidasのスニーカーと同様フランス製です。
その後、ヒールパッチが大きくなり、ベロにトレフォイルが入り、いわゆる「金ベロ」になるのは1970年代の中盤。踵にadidasと表記されるのは、その少し後だったようです。
「単色ベロ」になるのは1980年代に入って少し経ってから。この辺からアスリート向けというよりは、タウンユース的な位置づけになり、SUPERSTARとファッションや音楽との繋がりがいよいよ強くなっていきました。
少々濃い話になりますが、主にこの時代のNBA等のアスリート向けに作られた特別仕様には、見たことも無いようなカラーリングのものが多く存在したようです。因みに、SUPERSTARでも一部認められる「ノンシェル(シェル無し)」や「ハーフシェル」といったものは、辛うじて現物確認出来る「特別仕様」のひとつということになると思われます。
Run DMCがadidasと契約したのは1986年。これはフランス製最後の時期に重なりますが、ヒップホップシーンからの影響だと思われる、紐が太くなった仕様のSUPERSTARなんてものも展開されていたようですね。Run DMCのコンサートに来ていたキッズたちが頭上で振っていたというSUPERSTARが、この辺のモデルだと思われますが、1987年には、Run DMCが行っていた「紐無し履き」をしやすくした作りのULTRASTARがリリースされたことは、ご存じの方も多いでしょう。いわゆる「コラボのはしり」としてそんなことが展開され始めていたというのは、「ファッションと音楽の繋がり」という観点で、とても面白い話だと思います。
この後も、SUPERSTARはフランス以外のいくつかの国で作られていたようですが、その中には「ハンガリー製のワックスドレザー」なんてものも。カラーリングはいくつかあったようですが、ブラウンがレアらしいです。
その他「変わり種」としては、「フランス製で三本線とヒールパッチがリザード」になっている仕様もあったり。
廉価版の位置づけになるのでしょうか、1970年代後半には合成皮革で作られたSUPERSTAR Ⅱが発売されます。これは比較的壊れやすかったようですが…。
1991年には全ての工場で契約が切れたようで、一旦SUPERSTARの製造は中止になりました。そういった工場のいくつかが、1990年代に横行した精巧な偽物を作っていたという話もありますね。
1990年代に入ると「adidas originals」ブランドが立ち上げられます。ここからは、数多くの復刻、コラボレーション、別注が展開された、というのは皆さんご存じの通りだと思います。スケート界隈ではMark Gonzalez、ヒップホップ/R&BシーンではSnoop Dogg、Missy Elliott、Pharrell Williamsらとのディールが結ばれました。昨今は、サスティナビリティを意識したモデルが発売されたりと、販売開始以降50年以上が経った今も、SUPERSTARはその時代をふまえたアップデイトの試みを続けています。
「スニーカーのマスターピース」にフォーカスするブログ企画の第一弾は、SUPERSTARを取り上げてみましたが、いかがでしたでしょうか?
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