I’m not a sneak!
 - L.L. Cool J × Air Jordan - 

 

●(UniverGoods「中の人」)「音楽とファッションの関わり」という切り口で「ヒップホップとスニーカー」をテーマにお送りする本ブログです。企画を進めるにあたっては、ゲストの方にご登場いただきます。渋谷・道玄坂でヤバ旨過ぎるステーキレストラン「英二」を営む程島さんです!

□(程島さん)よろしくお願いいたします。

 

渋谷は道玄坂のステーキレストラン「英二」の店内。壁には1990年代以降のヒップホップ・クラシックのレコジャケが敷き詰められ、BGMも当時のミックステープが流れる。

 

●お店の壁には、ヒップホップ・クラシックのレコジャケが敷き詰められていますが。

□そうですね。自分のヒップホップのストライクゾーンは1990年代なんですが、その前も後もスニーカーはずっと好きで色んなものを履いてきました。今回は当時を思い出しながら、お勉強もさせていただくつもりで参加させていただきますので、よろしくお願いいたします。

●今回の進め方ですが、程島さんから「スニーカーを履いたヒップホップ・アーティストのレコジャケ」を持ち込んでいただき、そのスニーカーにまつわるストーリー等についてお話しいただくという形でお願いしています。取り上げたスニーカーについては、somaさんのアーカイブにも助けていただきつつ、可能な限り「現物」を確認していきたいと思っていますので、お楽しみに!

 

 

<L.L. Cool J × Air Jordan>

 

●最初の物件は、L.L. Cool Jさんでございます。NYはロングアイランド出身、1968年生まれ。その名の由来は「Ladies Love Cool James」!

□今回取り上げたのは、1985年に発表された彼のデビュー・アルバム「Radio」です。Def Jamレーベルが初めて出したアルバムですね。僕は、このアルバムをタイムリーに聴いていたワケではなく、“Mama Said Knock You Out”あたりから入って…少し遡ってこのアルバムに行き着いたって感じですかね。

“Rock The Bells”とか“I Need A Beat”が入ってるヤツですよね、熱い~。今気づきましたけど、彼が17歳の時の作品なんですね…。これは裏ジャケになりますが、「ラーメン屋風腕組みポーズ」の表情が、まだあどけなくて可愛い…。

L.L. Cool Jのデビュー作「Radio」の裏ジャケ。

表ジャケはこちら。

L.L. Cool Jのデビュー作「Radio」の裏ジャケ。

 

表ジャケはこちら。

 

□このレコジャケで彼が履いているスニーカーは、NIKEのAir Jordan 1ですね! 言わずと知れたNBAのレジェンド:Michael Jordanのシグニチャー・モデルです。オリジナルのAir Jordan 1については、16種類ものカラーリングが展開されたようですが、これはBlackとRedの色使いからBredと呼ばれるものですね。

 

彼が履いているのが、発売されて間もないAir Jordan 1の赤黒。

モデル名はBred!

彼が履いているのが、発売されて間もないAir Jordan 1の赤黒。

 

モデル名はBred!

□当たり前ですが、このジャケのAir Jordan 1の黒赤、キレイですね…。

●そうなんですよね。私もそこに目が行って色々調べてみたんですが、面白かったのは、このAir Jordan 1とLLのアルバムとの発売日なんです。Air Jordan 1の米国での一般発売は1984年11月17日で、このアルバムのリリースが1985年11月18日だったようなので、結果的に、Air Jordan 1の発売1周年を記念するかのような形でLLがアルバムデビューしてたという。スポーツ、音楽、ストリート、ファッションが渾然一体となって、何か新しいことが始まる瞬間って感じがして、なんだか改めてワクワクしました。

□LLは後年になって「ヒップホップの世界でみんながadidasやPUMAを履いている中、NIKEのAir Jordanを最初に履いたのは自分だ」と主張する一方で「Michael Jordanはまだルーキーだったから、自分は単純にこのスニーカーが好きで履いていた」とコメントしています。ただ、彼のそれ以降のアルバムでAir Jordanが履かれることは無かったようなんですけね。

●「ストリートからの支持」という点でいうと、このAir Jordanは「スニーカーのデザインにおいて一定の白い部分を確保しなくてはならない」というNBAのルールを破り続ける中で着用された、という逸話も大きく影響していたと思われます。Michael Jordanは罰金を払いながら、この禁止された黒赤を履いていたワケですね。この逸話を受けて「Banned(「禁止された」の意)」という名のモデルもありました。

 

□ヒップホップやR&Bの世界では、特に1990年以降、Boyz II MenやAaliyahといったアーティストを挙げずとも、多くの黒人アーティストが割とフツーにAir Jordanを履いていましたし、2000年代以降においても、ブランドとしてのAir Jordanは、ラッパーのFat JoeやCommonなんかとも関係を深めていったなんて話は記憶に新しいですよね。Commonなんてティーンの頃は、シカゴ・ブルズのボール・ボーイをやってたっていうじゃないですか。

 

●程島さん的には、Air Jordanとの関わりは?

□自分が高校生の頃は、6だとか7あたりが出た時期だったと思います。ただ、自分が実際に買ったのは割と遅くて2000年過ぎてましたから、5の復刻の白赤とか白銀のナンバリング(Michael Jordanの背番号「23」入り)あたりですよね。高校生の頃は、ヒップホップにハマる前でハードロックなんかも聴いてたんですけど、そういえばGuns N’ RosesのSlashがAir Jordan 1の黒青を履いていたことを思い出しました。後は、1以外にはなりますが、Public EnemyのFlavor FlavとChuck D、N.W.A.のEazy-Eは、Air Jordanの3~4あたりを愛用していたとか。この頃のアメリカでのAir Jordanの広がりは、東西関係ない感じですね。

Guns N’ RosesのSlashは、黒青を愛用していたらしい。

Air Jordan 1の黒青。Guns N’ RosesのSlashが着用していたのがコレ。正式にはRoyalと呼ばれる。

Guns N’ RosesのSlashは、黒青を愛用していたらしい。

Air Jordan 1の黒青。Guns N’ RosesのSlashが着用していたのがコレ。モデル名はRoyal。

 

□2008年には、JordanブランドとしてEminemと初めてコラボしてましたし、その後にはA Tribe Called Questヴァージョンがリリースされたり、2013年になるとDrakeとアパレル契約を結んでましたよね。決定打は、Travis Scottでしょうけど。

 

●ほぼ40年にわたって、異なるカルチャーとの関係性を持つ中で注目を集め続けている、というあたりが、このAir Jordanの特別な存在感に繋がっていそうですよね。Air Jordanについては、別のブログ企画でも深掘りしたいと思っていますので、お楽しみに!

 

<画像を押下すると、それぞれの商品(レコジャケのみ)に関する投稿ページが閲覧出来ます>

 

 

「ヒップホップとスニーカー」に関するブログ企画、いかがだったでしょうか? ヒップホップとスニーカーが関わるストーリーは、まだまだ続きますので、お楽しみに!

また、本企画は「UniverClothes」と「UniverTunes」の「部屋またがり」企画にもなっています。これを機会に、ファッションと音楽それぞれの「沼」へと続く扉を開けてみていただければと思っています!

 

 

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